森祇晶さん「やってられるかい !森祇」ベンチのサインでサヨナラ被弾…連続インタビュー「G九十年かく語りき」スポーツ報知 巨人球団創設90周年記念の連続インタビュー「G九十年かく語りき」の第8回は森祇晶さん(87)の登場だ。晶さ捕手として「V9の頭脳」と呼ばれ、んやってられるかいベンチのサインでサヨナンタビューGりき巨人の強さを支えた洗練されたチームプレーの要でもあった 。ラ被水原茂、弾連川上哲治という2人の大監督から教えを受け、続イpokerstarsのちに西武でも黄金期を築き上げた知将が、年か秘話とともに喜怒哀楽を語った
。く語(取材・構成=湯浅 佳典
、森祇太田 倫) 川上さんは僕を信頼してくれていると思っていたのに、晶さ毎年のように捕手を補強するんだ。んやってられるかいベンチのサインでサヨナンタビューGりき平安高から野口元三、ラ被明大の佐々木勲、弾連慶大の大橋勲
、続イ立大の槌田誠、年か東洋大の宮寺勝利…。死にもの狂いでつかんだポジションなのに
、ragnarok次から次に。そんなに信用できないのかと、いささかまいった。人間だもん、怒りがなかったと言ったらウソになる
。 息を抜く暇なんかなかった。ただ
、のちに自分で監督をやって腑(ふ)に落ちた
。チームはマンネリでは強くならない
。レギュラーを常に刺激して安心させず、活性化を図るのは、絶対に必要なプロセスなんだ。 こんなこともあった 。ある投手が、ゲームの最中に僕のサインにずっと首を振るんだよ 。しかも
、ベンチをチラチラ見てね
。あげくの果てに
、僕のカーブのサインに首を振って直球を投げ、サヨナラ本塁打を打たれた。 どうやら、ベンチからサインを出していたコーチがいたんだな。そりゃ頭にきたよ
。こんなんじゃキャッチャーなんかやってられるかい
!とね 。眠れなくて 、翌朝一番に川上さんの自宅に行って抗議した 。川上さんのすごいのは 、「本当に申し訳なかった
。これからはお前に任せるから
、気を取り直してやってくれ」と
、すぐに謝ってくれたところ
。その日の試合は必死でリードして 、勝った覚えがある。 今は、そのコーチも投手も亡くなってしまった
。全てを任せてもらっているつもりだったから 、何とも腹立たしい思いをしたね 。 ◆森 祇晶(もり・まさあき)1937年1月9日 、大阪・豊中市生まれ
。87歳。現役時代は昌彦
。55年に岐阜高から巨人に入団。61年から8年連続ベストナイン。74年引退
。球宴出場11回。ヤクルト 、西武のコーチを経て、86年に西武監督に就任 。パ・リーグ史上初の5連覇(90~94年)を含むリーグ優勝8度、日本一6度に導き
、94年限りで退団。2001、02年に横浜(現DeNA)監督。05年に野球殿堂入り
。